人生をかけることの意味

「好きなことを仕事にするかしないか」問題は必ず誰しもが経験することだとは思いますが

個人的には前者の考えを持っている人はしあわせな人だと思っています

おそらくその人は、「人生をかけられるほど何かに必死に取り組んだ」経験がある人なのではないでしょうか

あるいは、人生をかけるほどではなくとも、「熱中できるもの」くらいでも十分かもしれません

とにかく、(そのものが好きか嫌いかにかかわらず)死ぬほど楽しんだあるいは苦しんだ経験のある人は、「好きなことを仕事にすること」に対する恐怖心はないように思えます

というより、好きなことでなければ仕事=人生をかけるものにはできない、というか。

 

話は少し逸れますが、「頑張り方」を知っているということはとてもしあわせなことです

簡単に言えば成功体験でしょうか

 

それを得る方法のひとつが、「とにかく1科目でいいから100点をとる」こと、というのが個人的経験です

人生を決めるのは小中高の学生時代だというのは決して言い過ぎではないでしょう

そしてその要素のひとつが勉強の出来不出来ですよね

勉強(あるいはスポーツ、あるいはひとまとめに人間関係でもいいけど)ができれば人生は輝く(モテる)らしい、じゃあどうすれば、という青(性)少年(少女)たちよ

ほか全部0でいいからひとつ100とれ、と僕が担任なら言います(そして僕は偉い人に怒られる)

 

なぜなら一度100点を取れば、「頑張り方」が体感できるからです

理解できなくてもいい、なんとなく体感できれば

その感覚を知ることができれば、それをほかの教科に応用すればいい

あるいは勉強というジャンルを超えて、部活でも恋愛でも応用すればいい

「頑張り方」は換言すれば「努力の仕方」です

そしてそれはあらゆるものに応用できる、汎用性の高いものです

 

ここで話が繋がるわけですが

「何かに人生をかけたことのある人」というのは、「頑張り方(努力の仕方)」を知っているのです

つまり、その人は、ひとつの道で挫折をしてもまた違う道で必死になれる、七転び八起きさんですね。

そしてこの成功体験とともに失敗体験もしていることがさらに生きてくるのですが

あるいは苦労といった方がいいでしょうか

 

「頑張れない」気持ちがわかるんですよ

 

例えばプロ野球選手を目指して毎日練習していた人も、必ずサボった日があるんですよ

そしてその苦い記憶はずっと残るもので、だからこそ頑張れるんですけど

違う視点から見ると、頑張れていないほかの人を見たときに、「その気持ちわかるよ」って言えるんですよ

自分の弱さを知っているから、他人の弱さを許せると言いますか

あるいは「もう無理!やめる!こんなんいやだ!!」って諦めた(逃げた)人のことも、悪く言えないんですよね、だっていつ自分がそうなるかもわからないから

もしかしたらそれは過去の自分かもしれないし

 

それでですね、「何かに人生をかける」ということは、とても不安定なことでもあるんですね

 

辛いし怖いし不安だし逃げたいやめたいでも負けたくない怖いやだもう無理悔しいまだやれるふざけんな俺の方がでもやっぱ今に見てろもうやめたい楽になりたいでもこれがなくなったら俺は

 

というような無限ループの中で生きているんですね

だからその糸が切れたとき、それはそれは本当に脆い存在になるんです

 

でもそれを知らない人は、叩くんですよ、弱虫!って

例えば、

クスリなんてやるのは心が弱い証拠、クズ、失望した、とか言って

 

ええ、あなたは間違っていないですよ、彼の心は弱っているんです

人生かけてきたものがなくなって、あるいはもう人生をかけられなくなって

心はもうズタボロなんですよ

やめたからズタボロなのか、ズタボロだからやめたのか、それはどっちでもいいんですけど

 

成功体験には失敗体験が必ず伴い

成功体験に至る過程には必ず苦しみがあり

その苦しみの中で必ず弱さが芽を出し

その芽を少しずつ育てながら、あるいは摘み取りながら

いつか楽になることを夢見て、でも妥協はしたくない、死ぬまで苦しみ抜いてやるという思いの狭間で

笑いながら泣いて、泣きながら笑っている

 

そんな情景を想像できる、あるいは身をもって経験した人は

とてもしあわせな人だと僕は思います

そして、とてもやさしい人だと思います

 

ただそんなキビチー世界に足を踏み入れるのも大変ですし

だからまずは1科目でいいから100点とれ!ということになるわけです

まずはその一歩から

 

 

ということで

何かに人生をかけている人たちを描いた作品であり、そんな彼らの強さと弱さを、目を背けずに描ききっている作品を

www.e-hon.ne.jp

 

ハチクロで有名な羽海野チカさんの『3月のライオン』です

既刊12巻、未完です

将棋が題材ですが、将棋がわからなくても大丈夫です、僕はいまだに各駒の動きもよくわかっていません

主人公・桐山を中心にした各棋士たちの「自分との戦い」を見て、何か感じるものがあればいな、と

ですが個人的な白眉は、ヒロイン(だと僕は勝手に思っている)であるひなちゃんの「戦い」です

あー、ひなちゃんと結婚したい

って思いました

 

人生かけまーす、わーーーーーーー。

 

 

『1984年』関連書籍フェアを妄想する

タイトルの通りですが、いくつか紹介しようかなと。

トランプさんが大統領に就任してから米国では『1984年』が売れているとか。

日本でも、なんとも皮肉なタイミングで早川書房さんの「ディストピア関連フェア」が、『虐殺器官』の映画公開に合わせて展開されていて。

 

そして個人的には、大学院での研究テーマがディストピア(ユートピア)文学で、しかも『1984年』で修士論文を書いたこともあり

なんだか嬉しいような困ったような...(だって世界がディストピアに向かいつつあると皆が感じているわけですから)

 

それではなぜディストピア文学が誕生するのか。そして読まれるのか。

それはもちろんディストピアの到来を防ぐためです。

『一九八四年』(早川書房)の帯で(アジカンの)後藤正文さんが書いているように

”実現しない(あるいはさせない)予言書として”

ディストピア小説は存在しているのです。

 

さて、それでは本題に入ります。

 

1. 『動物農場』(ジョージ・オーウェル,早川書房)

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早川epi文庫で新訳が出ました(2017.1)。『1984年』の前日譚というか、入門編としてオススメです。こちらを読んでから『1984年』に進むとより一層理解しやすいかと思います。分量も少ないので読みやすいです。

 

2. 『すばらしい新世界』(オルダス・ハクスリー,早川書房)

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こちらも同じタイミングで新訳出てます。僕は光文社古典新訳文庫から出ているもので読みましたが。

この小説の肝は「一見ユートピアに思える」ところです。「すばらしい」新世界に潜む違和を、ぜひとも感じていただければと。

 

3. 『われら』(ザミャーチン,岩波書店)

岩波文庫から出ていますが現時点では絶版です。すぐに読みたい場合は古本や図書館でお願いします。

1920年代にロシアで執筆されましたが、もちろん本国では発禁処分になりました。つまりそういうことです。

こちらと『すばらしい新世界』『1984年』は3大ディストピア小説と称されています。

とりあえずこの3作を読んでおけば間違いないです。そのためにも『われら』を復刊させましょう。笑

 

ほかにも『時計じかけのオレンジ』(アンソニー・バージェス,早川書房)(http://www.honyaclub.com/shop/g/g12506310/)や『華氏451度』(レイ・ブラッドベリ,早川書房)(http://www.honyaclub.com/shop/g/g16313494/)などもありますね。

前者は映画も秀逸ですし(結末は少し違いますが)、後者は本好きには居ても立ってもいられない作品でしょう。

 

ここからは趣向を変えます。小説以外の、「世界を考えるのに必要な本」を。

 

4. 『隷従への道』(フリードリヒ・ハイエク,日経BP)

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第二次大戦あたりのナチスを中心に全体主義の恐ろしさを検証しています。残念ながら、いまの世界状況(そして日本も)はこの本に書かれていることと一致する部分が非常に多いです。このタイミングで新たに邦訳されたのは意味があると思います。

 

5. 『何度でもオールライトと歌え』(後藤正文,ミシマ社)

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自分が住む世界に対して無関心でいること、そして知っていながらも声を上げないこと。そんな姿勢ではディストピアがやってきてしまうことを再認識させられます。「音楽に政治を持ち込むな」なんて言っていられる平和な時代はもう終わったのではないでしょうか。

 

6. 『となりのイスラム』(内藤正典,ミシマ社)

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もうひとつミシマ社から。イスラム世界とキリスト世界の軋轢が大変なことになっていますが、恐怖(と憎悪)の源は「無知」から生まれるのであって、この本を読み終えたとき、そこには少なくともそういった感情は生まれないのではないかと。

 

7. 『夫のちんぽが入らない』(こだま,扶桑社)

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どこがディストピア関連なのかと思うかもしれませんが(いやたしかに「入らない」のはディストピアかもしれないけど...)、この世界を住みにくくする原因のひとつである「ふつう」についてのお話だと僕は解釈したので。

絶対的な「ふつう」を追求し、その「ふつう」を皆に求めることは、その「ふつう」に当てはまらない誰かを傷つけ迫害することになる。あとがきにある、教え子の現在についての著者の受け入れ方に、僕はこだまさんの凄さを感じました。並大抵の人には不可能な受容の仕方ではないでしょうか。彼女(教え子)にとっての「しあわせ」「ふつう」をそのまま受け入れる。感嘆です。

 

8. 『この世界の片隅に』(こうの史代,双葉社)

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最後はこちら。この作品のテーマは『1984年』と同じです。

過去、そして記憶をどう扱うか。

その扱い方の違いが、それぞれの結末に違いを生み出しています。

とてつもない作品です。読んでください。あるいは観に行ってください、映画を。

オススメは映画→原作→映画です。

あえて説明はしません。読めば(観れば)わかります。

わからなかった人は、想像力を鍛えなおしてください。

 

 

最後に。

ディストピアを生み出す原点は「無知」です。

知らないものに対しては、理解も寛容も生まれません。

そのものを知ること。

そこから想像力の助けを得て共感が生まれ、受容と赦しが生まれます。

 

 

まだまだ紹介したい本はありますが、忠犬カタコリイヌが顔を出しているので終わりにします。

はやく自分のお店を持って(あるいは社員になって)、こういうフェアを展開したいなーという妄想でお送りしました。

この妄想をカタチにしてくれる素敵な方がいらしたら、許可なんていらないのでやってください。笑