これから「街の本屋」と「小さな版元」が生き残るためには、を考える(後編)

タイトルにある本編に入る前に、これから出版業界がどうなっていくのかという予想をしておきます。本編の前提ですね。もちろん、予想にすぎませんが。

なんてったって、「実績のない」若造のいうことですからね。

 

 

取次さんがこのままの姿勢でやっていくと、二極化が進むと思います。

つまり

①大手版元+大手取次+大型(都心部)書店の組み合わせ

②小版元+(中小取次)+小型(地方)書店の組み合わせ

です。

 

②には独立系の書店や、直取引のみの書店、メイン商材が本ではない店舗なども含みます。要するに最近勢力を増しつつあるタイプの書店ですね。

小版元というのもそうですね。例えばトランスビュー扱いの版元や、ミシマ社のような直取引メインの版元だと考えてください。あとは神田村や地方小、ツバメ出版流通などの中小取次を介する版元です。

 

つまり、①は既存の取次(流通)システムで特に差し迫った対応をとることなく生き残っていけるであろう集団で、②は既存のシステムからは弾き出されてしまった(あるいは見切りをつけて自ら離れた)集団で、とにかく必死に頭をひねって策を練った結果生き残れる集団です。

前者には、とにかくそちらのやり方で生き残ってもらいましょう。もちろん否定はしません。様々なタイプの版元・取次・書店が、様々な手段によって生き残っていくことが一番重要なことなので。正解はひとつじゃないし、それこそが多様性の担保につながるからです。こうすべきだ!と決めた途端に終わりが始まると、僕は思っています。

これから考えるのは、後者がいかに生き残っていくかです。

 

 

端的にいってしまえば、版元と書店が協力していこうということですし、もっといえば製版一体型が究極の理想になるかもしれません。「作って売る」の全部に関わる、ということ。

 

先日「走る本屋さん 高久書店」の高木さん(普段は静岡の戸田書店西郷店の店長)のお話を聴く機会がありまして、書店のない地域、書店空白地域問題の深刻さを再認識しました。そしてそういった地域にいる人たちには本に対する強い欲望があることも。読みたいんですよ、本を。でもないから諦めてしまう、あるいはネットで買う、それほど思いの強くない人はまあいいやってなってしまう。

でも、ちゃんと熱意を持って選書して、熱意を持って本を届けに行けば、きちんとその思いは通じるんですよ。そういったことを、高木さんのお話から受け取ることができました。

 

そしてもうひとつ、伽鹿舎という出版社をご存知でしょうか。熊本のいち版元なんですが、非営利(週末)出版社として、本業を別にもつ人たちが「九州を本の島に」という理念のもとに本を作っています。そしてなんといっても、九州限定配本という制度。基本的に、九州の書店にしか配本しないんです。初版分を売り切って重版したら(つまり九州にはある程度行き渡ったら)全国解禁、先日『幸福はどこにある』が解禁第一弾としてめでたく全国デビューしました。

 

(せっかくなのでここまで読んでくださった方は二者とも調べてみてください。リンクとかはあえて貼りませんので)

 

縁あってこういった方達と巡り会えて(特に後者は濃い付き合いになりそうですが)、ここからヒントが生まれました。

 

最初に戻って、なんで取次が地方や小さい書店を避けたがるかってことを考えると、結局物流コストの問題なんですよね。

じゃあ運ばなけりゃいいじゃん、って彼らは思っているようですが、僕もそれは同意です。180度意味は違いますが。

 

まず版元側から考えます。

ひとつは本を「地産地消」してしまおう、という案。あくまでもひとつの案で、絶対的な方法ではないですが。伽鹿舎が九州で作って九州で売っているように、これが各地域で生まれ始めたら面白いように思えます。

現状伽鹿舎は長野の藤原印刷さんと素敵な関係を築いていますが、九州の印刷・製本会社と同じようにできたらいいですよね(藤原印刷さんの九州支店ができるのもいいですね。笑)

地域の版元が本を編み、地域の印刷・製本所がカタチにして、地域の取次が届け、地域の本屋が売る。こういう仕組みが各地にできたら、大きな仕組みではないから大きな利益にはならないだろうけど、素敵な感じがしませんか?

 

次に書店側。というか広い意味での「本屋」、本を売る人。

普通に取次から満足な配本がある書店はこれまで通りで大丈夫です。なのでこれからの話はそうではない書店の話。

可能性のある道のひとつは、「心意気のある」版元をメインに取引をする、ということ。「心意気」とはつまり、「うちの本を意志を持って売ってくれるお店であればどこにあっても送りますよ」というもの。一般化するのは違う気もしますが、魂込めて本を作っている版元さんはきっと魂込めて売ってくれる書店さんには魂込めて本を送ってくれますよ、ということです。書店の規模とか、売上高とか、距離とかはどうでもいい。最高の本を作ったという自信があるから、とにかく置いてくれ。そういう版元さんですよ、きっと。たぶん。

この両者の間に、もちろん取次が入った方が手間が省けるのかもしれません。でも大手取次にはそういうコスト的な余裕と心意気はなさそうなので、悩みどころですよね。

 

で、ここからは興味があればやって欲しいことであり、個人的にもやってみたいことなんですけど。

 

移動(出張)本屋を、これまでの要素を取り入れてやってみて欲しい(みたい)んですよね。

やり方のイメージはこんな感じ。

 

・出店地域は書店空白地域。

・本の仕入先は数パターン(できれば組み合わせたい=立場を超えて協力したい)

 ①出店地近隣の書店の在庫を使う(利益の一部を手数料としていただく)

 ②地域関係なく協力してくれる版元から委託(同様に一部手数料)

 ③もはや著者本人でもいいのでは?

 など

・交通費などの必要経費は、協力料(宣伝料)として①②③から出してもらう

 

①は書店の出張所的なイメージになるかと。これは高木さんのように書店員が自店舗でやってもいいでしょうし、僕みたいなことを考えてるひとに任せてもいいと思います。その地域に版元さんがあれば声をかけてもいいと思います。著者が住んでたらもっといいですね。

②は、版元主導の本屋という可能性を含んでいます。というかそれがメインです。製版一体。自社の本を売るのはもちろんですが、他社の本も一緒に売って欲しいですね。他社本は販売手数料として利益の一部をいただく、という形で。

 

中小版元の苦しい理由は、結局のところ「存在を知ってもらえない」ことにあると思うんですよ。大部数刷れないから書店に行き届かない。入荷しても棚差しだから見つけてもらいにくい。どんなにいい本でも。

対して街の本屋は、とにかく本が入ってこないということになるかと。

そしたら組むしかないですよね。ということなんですが。

 

移動(出張)本屋の最大のメリットは、「存在を知ってもらえる」ということです。書店の存在、版元の存在、そして本の存在です(協力料=宣伝料とはそういうことです)。

知ってもらえさえすれば、それが「いいもの」であれば手にとってもらえるんです。キンコン西野さんの『プペル』のように。無料公開しても売れるんです。

いい版元であれば、いい本屋であれば、そしていい本であれば、その存在に気づいてもらうことさえすれば結果は出るはずなんです。

でもそれが、特に地方では難しい(都心部や大型書店では逆に「情報がありすぎて気づいてもらえない」ということにもなってますが)。

でも地方だからこそ、街の本屋(版元)だからこそ、できることがあるように思えます。

 

僕がこれまでずっと言い続けている、「本屋がなくなっているのなら、みんなが本屋になればいいじゃないか」というのはここに繋がります。地方こそ、書店のない地域こそ、みんなが本屋になれる仕組みが必要なんです。書店さん、版元さんの協力さえあればできると思います。今の僕のように書店員や版元人といった肩書き・立場のない人でも、熱意さえあれば本が売れる仕組みを。そうすれば、既存の取次システムがなくても生き残っていけると思います。

 

大きい仕組みの中に飲み込まれていないからこそ、できることがあるように思います。小回りとか、融通とか、そういう言葉で表される何かが。もっと純粋に、「いい本を作りたい」「いい本を届けたい」「いい本を読んでもらいたい」「いい本を読みたい」という思いだけを追求してやっていける、そういう仕組みが構築できるように思えます。

 

それは、小さいからこそできることだ

 

と記して、このまとまりのない長文をまとめたように思わせます。おわり。