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村上春樹にまつわる、知っていれば人生のスパイスになるといえば聞こえはいいが、実のところさして重要ではないお話

新刊が出るので僕にとっての村上春樹を記しておきます。

最初から最後まで「意味のない」話ですが。

 

村上春樹の作品は好きではある。すごい好き、というわけではない。

強いていうなら、好きと嫌いを半分に分けて好きを選び、その好きをさらに半分に分けた真ん中近辺誤差数センチ、といったところか。

具体的に言えば、『カフカ』『世界の終わり』『1Q84』『ノルウェイ』は読んだが、『ピンボール』や『多崎つくる』は読んでいない。『騎士団長殺し』もまだ読む予定はない。

 

つまり「なんとも言えない」というのが最も正確な表現であり、それは村上春樹の作品を読んだ後の感情と同一のものでもある。なんとも言えない、ということだけは言える、というやつだ。

この文章も村上春樹っぽい文体で書くことを意識してやっているが、その再現度は30点といったところか。なんとも言えない。

 

とにかく僕は彼と、確か中学1年の頃に出会ったと記憶している。父が「これ読んでみろ」と差し出してきたのが『カフカ』だった。父曰く、「アイロニーとメタファーだ」とのことだったが、おそらく父はよくわかっていなかったに違いない。なんだかとても自慢気だったが。

結局僕もよくわからなかった。何がアイロニーで何がメタファーなのか。でもストーリーは面白かったし、なんとなく、「好き(...なんだと思う)」と思った。ただ結末のもやっとした感じだけは心に残った。というか僕はそれが「いい」と思えるタイプの人間だったのだ、だから「好きの真ん中近辺誤差数センチ」にいる。

 

これから、村上春樹の何が僕の心の琴線に触れたのかを少し掘り下げて考えてみることにする。それはきっととても大事なことになるに違いない。あるいは完全に無駄になるだろう。

 

改めて思うことは、村上春樹の作品の世界観はいわゆる「ライトノベル」に近いということである(少なくとも僕が読んだ作品は)。ふたつの世界が同時進行し、あるいは登場人物が行ったり来たりする、というようなファンタジー要素。そしてその混線する世界線において展開される男女のあれこれ。

しかしどこまでいっても物語の雰囲気は曇り空のままだ。『1Q84』なんて、『高速道路から降りたら月が2つある異世界に飛ばされてしまったキミと僕の(以下略)』というタイトルをつけられて背表紙のタイトル文字が緑や青のあの文庫になっていてもおかしくない設定とストーリーであるにもかかわらず、である。

異世界的な設定と恋、そして頻繁に繰り返されるセックス。同じ設定でラノベが何本も書けるだろう。しかし村上春樹の手にかかれば全て曇り空になる。

とにかく僕の脳内では、いつも空は曇っている。たとえ本文に「いつの間にか眠っていたらしい。なんだかとても大切な夢を見ていたような気がするが、とにかくいま僕の中にあるのははやく彼女を探しに行かなければという感情だけだった。だから僕はトーストと目玉焼きを手早く作り、新聞の天気欄を読みながらそれらを食べた。まるでいま僕の胃の中に落ちていった目玉焼きのような天気図が、晴れということを伝えていた」とあったとしても、僕の脳内イメージはどんよりとした曇り空である。きっと、その本文の後ろには、「しかし実際には僕の部屋のカーテンは閉まっており、その僅かな隙間から漏れ入る光だけでは正確な天気はわからなかった。しかも新聞はおとといのもので、まるで彼女のように気まぐれないまの季節の天気では、予報などなんの意味もない」という文章が、フリクションボールペンで書かれているに違いない。冷やせば出てくる、きっと。

 

とにかく万事そういった調子で物語は進み、さらに追い討ちをかけるように「ハッピーエンドともバッドエンドとも言えない結末」を提示されることになる。

いや、バッドではないけどハッピーか...?んー。なー。となる。それはまるで軽口を叩き合えるほどの仲ではないクラスメイトの女の子(大人しめ)に告白され、返事を渋っているうちに彼女の親友(強気)に呼び出され、3人揃った状態で親友に「好きなの?嫌いなの?はっきりして」と問われたときのラノベの主人公が感じる戸惑いと同じかもしれない。「いや、嫌いじゃないけど好きっていったらじゃあ付き合えばいいじゃんって言われるし、でもそれほどは好きじゃないんだけど嫌いって言ったら怒るよね、親友。っていうか彼女泣きそうなんだけどえー嫌いって言えないよこれ、えー」

 

つまり非常にモヤモヤするのである。

 

しかもさらにタチの悪いことに、「なんかわかったような気になる」程度には物語の筋が理解できてしまうのだ。例えばピンチョン作品や夢野久作ドグラ・マグラ』のように、「誰だよこの面作ったやつ!クリアできるわけねーじゃんなんでスタートと同時に地面からトゲトゲの花出てくるんだよバカかよ」という超難易度高めのものではない。具体的に言語化するならば、ある程度の強敵が常に頻繁に出てくるのになぜか倒せてしまっていて、さらに「あれ?いま俺呪文唱えた?唱えてないよね?なんで敵消えたの?え?倒したの?まじ?」となりながら進んでいくような感じである。ちなみにラスボスは誰かが倒してて、しかもそれによって世界は平和にもさらなる混沌にもなっていない。

 

モヤモヤする。でもクリアはしている。

読み終えた達成感はあるが、どうもしっくりこない。

「え?なに?エディプスコンプレックス?ちょっと難しい!」とか思いながらも読み終えてしまった。でも空は晴れない。嵐も来ない。いつまでたっても曇っている。

 

たぶんこれはあれだ、あれである。

例えばテストで100点を目指して必死に頑張ったが結果は65点だった。でもクラス平均は45点だったから、決して悪いわけではない。むしろいい方である。というような感じか。

あんなに頑張ったのに、と思うと納得はいかないが。でもこの難しさなら仕方ないよな、とも思う。そんな感じ。え?でも頑張ったのにこれ?でもそんな悔しくないな...

すごい嬉しいわけでもなく、かと言ってすごい悔しいわけでもない。

だからモヤモヤする。

まるで現実の人生のようである。

 

つまり村上春樹がクセになる理由の一つは、設定とストーリーはどう考えても現実離れしているのにまるで現実の人生のようなモヤモヤを残す結末を作り出せるすごさ、である。

登場人物の性格やスペックも現実離れしている。僕だったら慌てふためいてあわあわしてしまうような状況下においても、彼らは落ち着いている。とにかく先ずはコーヒーを淹れて、スクランブルエッグを食べる。なんならテレビをつけてNHK国会中継を見るともなしに見るくらいの余裕まである。

そんな彼らが突拍子もない世界の中で動き回っているのに、やはり空は曇っている。

そして結末は躍動しない。

 

 

結局村上春樹の何が好きなのかはよくはわからなかった。というのが結末である。

でもゼロじゃない。その程度には理解できた。かもしれない。

そしてこのように、ああでもないこうでもないと持論を展開し、そのことに満足することこそが村上春樹を愛する者としてのあるべき姿だとも思っている。

そして、「村上春樹の作品はよくわからないんだけど、そこがいいんだよね、なんかクセになるんだよね」と言ってちょっと「なんか良さげ感」を出すのが、村上春樹を語る際に取るべき姿勢だとも思っている。

そして僕はそう言った意味においては、完璧な村上春樹ファンであり、「新作はすぐには読まずにほとぼりが冷めてから(むしろ文庫になってから)読んで、ふむふむ今回はそんな感じかなるほどね、って言いたい」僕は完全に村上春樹の世界に入り込んでしまっている。

 

いま空にはきっと月が2つあるに違いない。僕はなぜかそう確信している。

 

カーテンはしまっているけれど...