テーマ あつい

誰でも本屋システム、今回のテーマは

 

あつい

 

です。

 

今年の夏は暑くないじゃあないか。うるさい!

暑いと思えば暑いんだ!あついあつい!!

しゅうぞーーーーーーーーーーーーーーう!!!!!

 

と、なってしまうことを見越して

今回のこの「あつい」本特集、手を打ってあります。

 

「あつい」

こちらの言葉の漢字変換は各自おまかせでお願いしようと思います。

つまり、「暑い」「熱い」「厚い」「篤い」などなど、皆様ご自由に選んでいただく方式になっております。

もはやご自由に「創って」いただいても結構です。

「あつい」と書いて「◯◯」と読む、その心は?的な大喜利に発展させていただくのも大歓迎。

あるいはポンコツPCのヘッポコ予測変換で素敵な「あつい」と運命の出逢いを果たしていただくのも趣深いかと存じます。

 

 

ということで今回の軸本

というより、「厚い」代表のご紹介です(各意味ごとに集めて決闘させようかな)。

 

ナショナリズムの由来』

大澤真幸(講談社)

www.hanmoto.com

 

こちらは僕が修論を書いた際に大変参考にさせていただいた本でございますが、とにかく厚い(箱入りなんです)。下は自前の画像ですがご参照ください。

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1枚目→隣には修論で主に扱ったG・オーウェルの『1984年』があります。その他の本と比べても破格の厚さであることがわかります

2枚目→本以外のものと比較してみました。ギタースタンドが軋みました。

3枚目→書見台にセットしてみましたが明らかにおかしいです。たぶん使い方が間違ってます。

 

ちなみにスリーサイズは上から

D: 6.0

W: 15.5

H: 22.0

となっております。豊満なボディー。もはやファビュラスさまで感じます。

 

僕はこの本と、修論執筆時にはとても多くの時間を共に過ごしました。全877ページ。朝から晩まで、寝るときも枕として使ってしまうほど、親密な仲になったのです。

 

それはまるで中学生の修学旅行の夜のような日々でした。

 

セキグチ「『ナショナリズムの由来』は好きな人とかいないの?」

ナショナリズムの由来』「んー、今はいないかな。あんまり私から積極的にいけないっていうか、いかない方がいいみたいだし」

セ「まじかー、箱入り娘かよー」

『ナ』「あ、でもなんか最近すごい目線が合うっていうか、私のこと好きなんじゃないかな?って感じる人はいるの」

セ「激アツやん。誰よ。秘密にするからさ」

『ナ』「安◯晋◯くん。あと他にも隣のクラスとか違う学校の人からも視線を感じることが多いかな」

セ「ん?」

 

 

笑えない冗談はさておき。

 

ものすごい厚くものすごい密度のある本なので、読むのはなかなかに骨が折れますが(そしてお金も吹っ飛ぶ。見た目通り辞書のような値段)、そのぶん得るものも多い本となっております。

 

それでも読む(買う)勇気がないお客様は、まずはお部屋ででんぐり返しを30回ほど連続で行ない、回転体となってしまった自らを壁におでこを強打することで止めていただいてからもう一度この『ナショナリズムの由来』について考えていただくと、気づいた時には財布から樋口さんが1名ほどお逃げになっておりますので、だったら野口さんも一緒に行かせてあげないと一葉ちゃん寂しがっちゃうわね、旅は道連れ世は情けよね、ほら、お行きなさい、というように、もう一冊違う本をお持ちになってこの夏をお過ごしください。

 

 

 

それでは、皆様の「あつい」本をお待ちしております。

投稿の仕方などについては下記エントリーをご参照ください。

lighthouse 使い方 - Notes on the edge of paper

 

誰でも本屋 テーマ「おんなのこ」

最終兵器彼女

高橋しん(小学館)

世界の終わり、そして恋。ひとが最も輝きそして最も醜くなるのは、このふたつの瞬間なのかもしれない。

軸本

https://honto.jp/netstore/pd-book_02099207.html

 

獣の奏者

上橋菜穂子(講談社)

少女エリンが運命と対峙し、王獣や人との関わりによって少しずつ変わっていく(変わらざるを得ない)お話。中高生のときに読みたかったけど、実は大人にこそ読まれるべきなのかも。

http://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784062764469

 

いっさいはん

minchi(岩崎書店)

Twitter発のヒット本ということで、この企画が成功して欲しいという願いも込めて。一歳半の女の子がとる謎行動の数々を、ひたすら眺めて楽しむ絵本。今ならお近くの書店でまだ展開しているかもしれません。

http://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784265830398

 

本屋さんのダイアナ

柚木麻子(新潮社)

実は以前静岡書店大賞にもなった強く優しく、そして日々葛藤しながらも生きていく女の子達の姿がガツンと伝わってくる力強い作品です。人は何度だって生まれ変われるし立ち上がれる事を教えてくれた大切な作品です。

http://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784101202426

 

小春日和 インディアンサマー

金井美恵子(河出書房新社)

女の子でいるのがどうしょうもなく面倒くさいと思っていた頃に読みました。
こんな女の子なら、女の子でいるのも悪くないと思ったような。

https://honto.jp/netstore/pd-book_01673879.html

 

こちらあみ子

今村夏子(筑摩書房)

おんなのこ…で思い出したのはあみ子だった。
無知故に無邪気で無垢な少女。
どんなに世間とズレていってもあみ子は何処までもあみ子のまま其処に在って。
彼女が気付かぬ淋しさが切なく胸を刺す。

http://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784480431820

 

クレヨン王国 月のたまご

福永令三 作/三木由記子 絵(講談社)

ばかでかわいくて愛する人のために勇気を振り絞れ、自分の価値観をしっかり持ったまゆみ。幼い頃の憧れでした。いつの間にか自分のほうがずっと年上になってしまいましたが、私の中で彼女は永遠に「女の子」で「お姉さん」です。

http://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784061486751

 

大草原の小さな家

ローラ・インガルス・ワイルダー(講談社)

大自然の中、家族と共に懸命に、そして朗らかに生きていくローラの姿は幼い頃の憧れでした。ローラたち四姉妹の仲良しのやり取りや、家族で祝うクリスマスなどのイベントがとても魅力的に描かれていて楽しげです。

https://honto.jp/netstore/pd-book_25417048.html

 

赤い実はじけた

名木田恵子(PHP研究所)

表題作は国語の教科書で読みました。
僕は未だに恋愛がよくわからなくて、だけど、「赤い実がはじける」という表現の向こうに、人を思う気持ちがパッと色づく様が見えた気がしたのです。

https://honto.jp/netstore/pd-book_01675516.html

 

下妻物語

嶽本野ばら(小学館)

女の友情をバカにされてイラッとした時はいつもこの二人を思い出す。
馴れ合いじゃなく、同一化を強制するでもなく、必要な時に心を寄せる。
友情という上辺だけの言葉に縛られず、相手が大切だという想いだけで自然と肩を並べられる二人の関係は、私の永遠のお手本。

http://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784094080230

 

海の島 ステフィとネッリの物語

アニカ・トール 著/菱木晃子 訳(新宿書房)

ユダヤ人姉妹がナチスの迫害を逃れてウィーンからスウェーデンへやってきた。読みごたえ十分の4部作、これが1冊目。うちの娘たちが読めるようになる日まで新刊書店で買えますように。

https://honto.jp/netstore/pd-book_02681702.html

 

塩を食う女たち

藤本和子(晶文社)

目が海になり心臓から流血とまらなくなるけど、なぜ自分は女に生まれたんだろうって一瞬でも考えたことのあるすべての女の子に読んでほしいな。臆病者だけが差別主義者になる。ひよるな、あなたは充分つよいって勇気をくれる本。読んだらつよくなる。

https://honto.jp/netstore/pd-book_00232578.html

 

とっておきの美智子さま

渡邊みどり 監修/マガジンハウス 編集(マガジンハウス)

お洋服が余りにも美しくて可愛い。過剰なものは何ひとつ無いのに存在感はあるーーグランクリュ・クラッセ
そういうものは、着る者にも同じことを要求する。
力はあってもそれに頼って語らない自然体の、最強エレガンス。

http://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784838728466

 

 

「こちら側」と「あちら側」

本が届かないのではなく、本「に」届かない人がいる。

ということをTwitterで書きました。そのことについてまとまらないなりに少し書いておこうと思います。

 

 

先日からスタートさせた「誰でも本屋_おんなのこ」で僕が軸本にした、高橋しん最終兵器彼女』を改めて読み直し、さらに同氏の『雪にツバサ』も読み直しました。

ざっくり言えば、前者は「主人公の女の子(17歳)が最終兵器に改造され終わりゆく世界の中で戦う」物語であり、後者は「母子家庭育ちの男の子(15歳)と喋ることのできない女の子(17歳)」の物語です。

 

後者『雪にツバサ』をもう少し具体的に説明します。

舞台は雪国のど田舎。古い温泉街で、違法風俗店が存在し(しかもそれが産業を支えてもいる)、ヤクザと警察が手を握り合っているおかげで平和が維持されているようなところ。

ツバサはほんのちょっとした超能力が使える男の子で、雪が不良グループにレイプされているところに遭遇。なぜか雪の「声」(つまり雪の思考)が読み取れてしまいます。そういう始まり。

思い切りネタバレしますが、雪は幼少期からの性被害(しかも父親からの)によって声を失っています(悲しいこと怖いことがあるとその記憶も消えます)。そしてそのことに気づいた祖父に引き取られます。ただ、残念ながら逃げた先の街も前述の通り危険な街なのですが。

 

ここまで書いたところでこの作品に対して「後ろ向きな」嫌悪感を抱いた方も多いでしょうが、そのような人にこそここからを読んでいただきたいです。

 

この作品(そして『最終兵器彼女』を筆頭に作者の他の作品)に対する批判は多いようです。「弱い女の子がレイプされることに対する作者の性的嗜好」みたいなものが特に。

ですがその批判が正しいかどうかはここでは問題ではなく、僕がここで言いたいことは、

 

「作中で描かれた人たち(に近いような生活を送っている人たち)が確かに存在している(らしい)」

 

ということです。(かっこによる保留がある理由は後述します)

 

冒頭の「本に届かない人」を思い出してください。あえてここでは次のように言い換えて遠回りをしますが、よろしければついてきてください。

 

「こちら側にいる人」と「あちら側にいる人」

 

と言い換えます。

「本に届かない人」=「あちら側にいる人」というのを頭の片隅に入れてお読みください。

 

僕たちは「こちら側」の存在です。例えばまず本を読める。こうしてネットにもつながる。そして、

「自分よりも酷い(豊かな)生活を送っている人がいること」を「知っている」

 

「こちら側」とは、「知っている」(=知る権利を有している)ことです。対して「あちら側」とは、「知らない」(=知る権利を有さない)ことと言えるでしょう。

 

本に関わることに的を絞りましょう。僕たち「こちら側」の人間は、作品=フィクション(あるいはノンフィクション)の中で描かれることを通して「世界」を知ることができます。『雪にツバサ』でいえば、「親から性的虐待を受けている人がいること」をフィクションを通して知る、あるいは感じることになります。

これに対しての「リアリティがない(=大袈裟すぎる、過激)」などといった批判、そしてもちろん前述の批判(=作者の性的嗜好云々)は、少なくともこの文脈からは的外れとなります。肝要なのは「絶望的な環境が存在すること」が理解(想像)できるかどうかだからです。

 

しかし残念ながら、こんな殊勝なことを書いている僕ですら「こちら側」の人間であり、「あちら側」の人たちのことを正確に知っているわけではありません。より正確にいうならば、「本を通して描かれた彼/彼女らのことは知っている」ということであり、故に前述のかっこによる保留付きの文章、

 

「作中で描かれた人たち(に近いような生活を送っている人たち)が確かに存在している(らしい)」

 

になるのです。あくまでも僕(とこれを読んでいるあなた)は「こちら側」の人間なんです。「あちら側」の存在は基本的には忘れていて、ふとした時にその存在を思い知らされ(テレビとか本とかによって)、あるいは覚悟を持って自ら知りに行くことでしかその存在は僕(たち)の中には生まれてこない。

 

だから僕ら(こちら側の人間)は、本を読むことでしか「あちら側」を知り(想像し)得ないということ。これがひとまずの結論。

 

だけど大事なのはここから。「あちら側」の話。長いしわかりにくかったけど最後までついてきてください。

 

想像しやすいように世界に目を向けてみましょう。例えばシリア。文字通り生きるか死ぬかの毎日。文字で説明できるような世界ではない。そしてやはりここでも僕は「こちら側」の人間であり、その絶望的な状況を想像するしかできない、本を読んでも。

とにかく「絶望的な状況」に生きる人がいる(らしい)。そしてそういう人が実は日本にもたくさんいる(らしい)。例えば『雪にツバサ』で描かれたような「クソど田舎」に。

 

また遠回りをします。ユートピアディストピア。前者は「最高の世界」、後者は「絶対に住みたくない世界」と考えてくれればいいです。これは僕にとっての両者の定義、あるいは関係性についての見解ですが、ユートピアディストピアは表裏一体、またはどちらかがなくなればどちらかもなくなるといった共依存的な関係にあると考えています。

つまり、僕らがユートピアを想像し、それを目指すとき、そこには「現実のディストピア」が必ず存在しないとならないのです。具体的に言うならば、毎日毎日残業だらけでしかも安月給のクソみたいな現実があるからこそ、残業なし高給取り(むしろ不労所得万歳)のようなユートピアを想像するわけです(ユートピア実現のための努力に発展するかはともかく)。

整理すると、

 

ユートピア実現のためには

ディストピア(=クソみたいな現実)を認識する必要がある

 

わけですが

③それ(=クソ現実)をディストピア(=改善すべき世界)だと思う

ためには比較対象が必要になります。つまりユートピア。少なくとも、「今の世界よりも良い世界があること」を知る必要があります。

 

 

さて、果たして「あちら側」の人はそれを知ることができる環境にあるのだろうか。

というより、そもそも「自分のいる世界がディストピアである」ということを感じることができるのだろうか。

 

 

知らない、否、「知ることができない」というのは、非常に残酷なことだ。

知ることができなければ、ユートピア実現を目指して生きることができない。あるいはユートピアではなくても、少なくともディストピアではない世界を目指すことができない。

ユートピアを描けなければユートピアは実現しない。あるいはディストピアを認識できなければディストピアを脱することはできない。

そのためには自らの状況を知ることと、外の世界を知ることの両方が必要になる。

 

ユートピア/ディストピアの感じ方は相対的なもので、年収5億の人間だってそれをディストピアと感じてより一層の高みを目指すこともあるし、年収200万でもユートピアと感じる人もいる(ちなみに「こちら側」と「あちら側」も相対的なもので、僕らも「あちら側」になりうる、とても簡単に。例えば国家機密とか。気づいたら戦争が始まってるなんてことがあるかもしれない。『最終兵器彼女』の世界はまさにそれ)。

だけど、本物のディストピア、絶対的なディストピアにいる人、つまり「あちら側」の人間には、ユートピア/ディストピアという概念が存在しない。そこにあるのは彼/彼女の生きるその世界「そのもの」だけだ。そこに「あったらいいな」の想像の世界はない。そして残酷なことに、「これより酷い世界がある」という想像もできない。そこにあるのはただただ現実のみだ。改善の必要を感じ(られ)ないディストピアが。

 

知ること、それはすなわち抵抗する権利を得るということだ。

現実に抵抗し、幸せを得ようともがく権利を得る。

その権利を奪われている人が、確かにこの世界には存在している(らしい)。

 

 

本を読むことは、世界を知ることであり、ありうるかもしれない世界を想像することである。そこに書かれた(描かれた)ことが真実であろうとなかろうと、僕ら「こちら側」の人間は世界を知る、想像する。自分のいる世界より幸せな世界があることを知り、羨む。自分のいる世界の方がマシな世界だと知り、安心する。

『雪にツバサ』というフィクションを通して世界を知る。あるいは『夫のちんぽが入らない』や『シリアからの叫び』というノンフィクションを通して。

僕ら「こちら側」の人間(=本を読める人間)は、残酷な世界があることを知って何かをしたいと思う。そこに書かれる(描かれる)「あちら側」のことを思い、何かを考える。

 

 

知る権利を有しているということは、より良い世界を目指す権利(クソみたいな世界を脱する権利)をも有するということになる。

「あちら側」=「本に届かない」人というのは、その権利を奪われている人と言える。

ユートピア(=ありうるかもしれない想像の世界)を目指す権利、またはディストピア(=絶望的な現実)に抵抗する権利。

現実を認識することも、可能性の世界を想像することもできない。

 

 

抵抗のための「知」

ふざけんじゃねーよ、という叫びをあげるための「知」

自分は不幸だ、もっと幸せになりたい、ということを世界に対して表明するための「知」

 

 

 

なんなんだこの世界は

 

そう言える、そしてその思いをネットを通して世界に発信できる僕はやはり

「こちら側」の人間である。

 

そして僕がこのようなことを考え世界に発信していることを、「あちら側」の人間は知ることができない。

 

 

 

 

テーマ おんなのこ

誰でも本屋2回目のテーマとなります。

 

今回は「おんなのこ」

 

 

 

ベリーキュートな女の子として生まれたい。

とはいえそれほど積極的ではない性格だったためか教室内では目立つこともなくもちろん特段モテるわけでもなかった小学校・中学校生活を送りたい。

そして本当は両思いだったのに片思いだとばかり思い込んでたがために発展しなかった淡い恋の思い出を高校時代に作りたい。

後悔ばかりが残るこれまでの人生を振り切るが如く大学で遊びまくりたい、そして数人の男に癒えることのない深い傷を追わせたい。

最終的にはクソほど優しい男に出会って思いっきり甘やかされながら幸せな家庭を築きたい。

そういうひとに、わたしはなりたい。

そんな来世のために現世は徳を積むのだ。

本なんかより徳を積みたい。積み重ねた徳の下敷きになって死ねば叶うだろうか。

 

これまでに積んだ徳の量ではきっとベリーキュートな女の子として生まれ、それほど積極的な性格ではなかったため兄弟姉妹間のご飯戦争に勝てない幼少期を送り、片思いとかよくわからないうちに避妊手術をされ、行くあてのない欲求を振り切るが如くボール遊びに全力を傾ける思春期を過ごし、クソほど優しい飼い主に毎日散歩に連れてってもらうコーギーくらいにしかなれない。いや、結構幸せだなこれ。できればたくさんおやつをもらって犬か魚雷かあるいは太鼓の達人かわからないくらいにまるまる太らせてもらいたい。

 

貯めた途端にしょうもないものに使ってしまうポイントカードのような僕の徳の話はおいといて、本題に戻ります。

 

「おんなのこ」というテーマで僕が選ぶ本はこちら

 

honto.jp

 

最終兵器彼女高橋しん(小学館)

 

弱気でドジな女の子が最終兵器になる話です。正直意味がわかりませんがその通りなので仕方がない。この説明の意味のわからなさは、作中世界で生きる人々が世界に対して感じる意味のわからなさ(理不尽さ)と重なるのかもしれません。

とにかく主人公が可愛くてカッコよくて切なくてアホでドジで可愛くてカッコいいんです。幼少期からサッカーに明け暮れたためいわゆる中2病を発症することなく、その後高1でサッカーを辞めた僕は高2病真っ只中。中2のうちからコツコツ溜めてはその都度使うようなことができなかった僕は、溜まりに溜まった思春期ポイントをここで全額使い切ったのでした。

この物語はいわゆる終末もの、セカイ系ディストピアものなどと呼ばれるやつです。そんな世界の中で可愛い女の子が戦っている(そして恋をしている)と。そんな刺激の強いものに、ポイント有効期限切れが迫っているメールを受け取った僕が反応しないわけもなく、そしてあまりの衝撃にその後の人生にまで影響を与えてしまったのではないかと推測しています(修論テーマはディストピア)。

 

世界が終わる(かもしれない)ということと、恋。

この思春期2大キーワードを出されては、行くあてのない様々な欲求や不満みたいなものを僕が全力で差し向けてしまうのも致し方ない。貯まったポイントで「身につけてるだけで腹筋が鍛えられるやつ」が買えるとなったら、そりゃ奥さん買いでしょうよ。

思いっきり魂(腹の肉)を揺さぶられてほしい。

 

 

本当にどうでもいい話でここまできてしまったけど、今回のテーマもいつも通り拡大解釈して考えてもらいたいです。

「おんなのこ」に年齢も国籍も関係ありませんし、可愛いとかかっこいいとかに縛られるものでもありません。対潜水艦用魚雷のようになってしまったコーギーだっておんなのこだ!服屋に行くとレディースものの方がデザイン的に気に入ってしまう僕もおんなのこだ!来世は真木よう子になりたい!!

 

 

 

誰でも本屋「光」

海を照らす光 

M・L・ステッドマン/古屋美登里 訳(早川書房)

http://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784151200885

 

 

暗い時代の人々 

森まゆみ(亜紀書房)

http://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784750514994

ついに再び暗い時代へ突入した日本。だがかつての暗黒の時代も光が全て消え去った訳ではない。灯された微かな、しかし輝かしい光を放った人々を私達が忘れない限り、まだ希望は…
「暗い時代」を認識せよ。全てはここからだ。

 

 

裸足で逃げる:沖縄の夜の街の少女たち

上間陽子(太田出版)

http://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784778315603

光あれば影もある。注目の「質的調査」に基づく社会学の成果。彼女(/彼)らに人生はこの道しかないのだろうか。この著者にしか描き得ない日本の現実。 ここに「あったかもしれない私」を想像することから始めよう。

 

 

踊る光

トンケ・ドラフト/西村由美 訳/宮越暁子 絵(岩波書店)

http://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784001156669

光をリズムに溶解させながら、それは幻惑剤なのだと主張しているかのように、上質な浮遊感と読後感を提供してくれる短編集です。そしてファンタジックな世界観とは対照的に、作者の創作人生の如き「暗さ」をも際立たせる、正に光の書です。

 

 

オーデュボンの祈り

伊坂幸太郎(新潮社)

http://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784101250212
強すぎる光は暴力にもなります。コンビニは夜を明るくするし人を殺せる。けれど朝の光で気持ち良く目ざめることもある。そんな両極を人間も持っているのではないでしょうか。残虐さの描写の裏に、人間への希望と愛が詰まった小説だと思います。

 

 

これから「街の本屋」と「小さな版元」が生き残るためには、を考える(後編)

タイトルにある本編に入る前に、これから出版業界がどうなっていくのかという予想をしておきます。本編の前提ですね。もちろん、予想にすぎませんが。

なんてったって、「実績のない」若造のいうことですからね。

 

 

取次さんがこのままの姿勢でやっていくと、二極化が進むと思います。

つまり

①大手版元+大手取次+大型(都心部)書店の組み合わせ

②小版元+(中小取次)+小型(地方)書店の組み合わせ

です。

 

②には独立系の書店や、直取引のみの書店、メイン商材が本ではない店舗なども含みます。要するに最近勢力を増しつつあるタイプの書店ですね。

小版元というのもそうですね。例えばトランスビュー扱いの版元や、ミシマ社のような直取引メインの版元だと考えてください。あとは神田村や地方小、ツバメ出版流通などの中小取次を介する版元です。

 

つまり、①は既存の取次(流通)システムで特に差し迫った対応をとることなく生き残っていけるであろう集団で、②は既存のシステムからは弾き出されてしまった(あるいは見切りをつけて自ら離れた)集団で、とにかく必死に頭をひねって策を練った結果生き残れる集団です。

前者には、とにかくそちらのやり方で生き残ってもらいましょう。もちろん否定はしません。様々なタイプの版元・取次・書店が、様々な手段によって生き残っていくことが一番重要なことなので。正解はひとつじゃないし、それこそが多様性の担保につながるからです。こうすべきだ!と決めた途端に終わりが始まると、僕は思っています。

これから考えるのは、後者がいかに生き残っていくかです。

 

 

端的にいってしまえば、版元と書店が協力していこうということですし、もっといえば製版一体型が究極の理想になるかもしれません。「作って売る」の全部に関わる、ということ。

 

先日「走る本屋さん 高久書店」の高木さん(普段は静岡の戸田書店西郷店の店長)のお話を聴く機会がありまして、書店のない地域、書店空白地域問題の深刻さを再認識しました。そしてそういった地域にいる人たちには本に対する強い欲望があることも。読みたいんですよ、本を。でもないから諦めてしまう、あるいはネットで買う、それほど思いの強くない人はまあいいやってなってしまう。

でも、ちゃんと熱意を持って選書して、熱意を持って本を届けに行けば、きちんとその思いは通じるんですよ。そういったことを、高木さんのお話から受け取ることができました。

 

そしてもうひとつ、伽鹿舎という出版社をご存知でしょうか。熊本のいち版元なんですが、非営利(週末)出版社として、本業を別にもつ人たちが「九州を本の島に」という理念のもとに本を作っています。そしてなんといっても、九州限定配本という制度。基本的に、九州の書店にしか配本しないんです。初版分を売り切って重版したら(つまり九州にはある程度行き渡ったら)全国解禁、先日『幸福はどこにある』が解禁第一弾としてめでたく全国デビューしました。

 

(せっかくなのでここまで読んでくださった方は二者とも調べてみてください。リンクとかはあえて貼りませんので)

 

縁あってこういった方達と巡り会えて(特に後者は濃い付き合いになりそうですが)、ここからヒントが生まれました。

 

最初に戻って、なんで取次が地方や小さい書店を避けたがるかってことを考えると、結局物流コストの問題なんですよね。

じゃあ運ばなけりゃいいじゃん、って彼らは思っているようですが、僕もそれは同意です。180度意味は違いますが。

 

まず版元側から考えます。

ひとつは本を「地産地消」してしまおう、という案。あくまでもひとつの案で、絶対的な方法ではないですが。伽鹿舎が九州で作って九州で売っているように、これが各地域で生まれ始めたら面白いように思えます。

現状伽鹿舎は長野の藤原印刷さんと素敵な関係を築いていますが、九州の印刷・製本会社と同じようにできたらいいですよね(藤原印刷さんの九州支店ができるのもいいですね。笑)

地域の版元が本を編み、地域の印刷・製本所がカタチにして、地域の取次が届け、地域の本屋が売る。こういう仕組みが各地にできたら、大きな仕組みではないから大きな利益にはならないだろうけど、素敵な感じがしませんか?

 

次に書店側。というか広い意味での「本屋」、本を売る人。

普通に取次から満足な配本がある書店はこれまで通りで大丈夫です。なのでこれからの話はそうではない書店の話。

可能性のある道のひとつは、「心意気のある」版元をメインに取引をする、ということ。「心意気」とはつまり、「うちの本を意志を持って売ってくれるお店であればどこにあっても送りますよ」というもの。一般化するのは違う気もしますが、魂込めて本を作っている版元さんはきっと魂込めて売ってくれる書店さんには魂込めて本を送ってくれますよ、ということです。書店の規模とか、売上高とか、距離とかはどうでもいい。最高の本を作ったという自信があるから、とにかく置いてくれ。そういう版元さんですよ、きっと。たぶん。

この両者の間に、もちろん取次が入った方が手間が省けるのかもしれません。でも大手取次にはそういうコスト的な余裕と心意気はなさそうなので、悩みどころですよね。

 

で、ここからは興味があればやって欲しいことであり、個人的にもやってみたいことなんですけど。

 

移動(出張)本屋を、これまでの要素を取り入れてやってみて欲しい(みたい)んですよね。

やり方のイメージはこんな感じ。

 

・出店地域は書店空白地域。

・本の仕入先は数パターン(できれば組み合わせたい=立場を超えて協力したい)

 ①出店地近隣の書店の在庫を使う(利益の一部を手数料としていただく)

 ②地域関係なく協力してくれる版元から委託(同様に一部手数料)

 ③もはや著者本人でもいいのでは?

 など

・交通費などの必要経費は、協力料(宣伝料)として①②③から出してもらう

 

①は書店の出張所的なイメージになるかと。これは高木さんのように書店員が自店舗でやってもいいでしょうし、僕みたいなことを考えてるひとに任せてもいいと思います。その地域に版元さんがあれば声をかけてもいいと思います。著者が住んでたらもっといいですね。

②は、版元主導の本屋という可能性を含んでいます。というかそれがメインです。製版一体。自社の本を売るのはもちろんですが、他社の本も一緒に売って欲しいですね。他社本は販売手数料として利益の一部をいただく、という形で。

 

中小版元の苦しい理由は、結局のところ「存在を知ってもらえない」ことにあると思うんですよ。大部数刷れないから書店に行き届かない。入荷しても棚差しだから見つけてもらいにくい。どんなにいい本でも。

対して街の本屋は、とにかく本が入ってこないということになるかと。

そしたら組むしかないですよね。ということなんですが。

 

移動(出張)本屋の最大のメリットは、「存在を知ってもらえる」ということです。書店の存在、版元の存在、そして本の存在です(協力料=宣伝料とはそういうことです)。

知ってもらえさえすれば、それが「いいもの」であれば手にとってもらえるんです。キンコン西野さんの『プペル』のように。無料公開しても売れるんです。

いい版元であれば、いい本屋であれば、そしていい本であれば、その存在に気づいてもらうことさえすれば結果は出るはずなんです。

でもそれが、特に地方では難しい(都心部や大型書店では逆に「情報がありすぎて気づいてもらえない」ということにもなってますが)。

でも地方だからこそ、街の本屋(版元)だからこそ、できることがあるように思えます。

 

僕がこれまでずっと言い続けている、「本屋がなくなっているのなら、みんなが本屋になればいいじゃないか」というのはここに繋がります。地方こそ、書店のない地域こそ、みんなが本屋になれる仕組みが必要なんです。書店さん、版元さんの協力さえあればできると思います。今の僕のように書店員や版元人といった肩書き・立場のない人でも、熱意さえあれば本が売れる仕組みを。そうすれば、既存の取次システムがなくても生き残っていけると思います。

 

大きい仕組みの中に飲み込まれていないからこそ、できることがあるように思います。小回りとか、融通とか、そういう言葉で表される何かが。もっと純粋に、「いい本を作りたい」「いい本を届けたい」「いい本を読んでもらいたい」「いい本を読みたい」という思いだけを追求してやっていける、そういう仕組みが構築できるように思えます。

 

それは、小さいからこそできることだ

 

と記して、このまとまりのない長文をまとめたように思わせます。おわり。

これから「街の本屋」と「小さな版元」が生き残るためには、を考える(前編)

www.nikkei.com

先日のこちらの報を受けて、いま思っていることを書いておこうと思います。

日経の会員ではない人は申し訳ないですが、とにかく採算の取れない書店を閉店させるということです。

 

これをみて、これまで疑問だったというかうまく点と点が繋がっていなかったものが

悪い意味で線になってしまいました。もちろん推測の域を出ませんが。

 

それは、結論から言うと、「取次は、大型あるいは都心部などの、自分たちが効率よくコストをかけずに相手できる書店以外は潰したい」ということになります。悪意のある言い方をあえてしますが。

 

以前から、パターン配本や実績配本などと呼ばれる、書店のランクによって配本がされる仕組みに疑問を抱いていました。ランクとは、簡単に言えば売り上げの大きさです。それはお店全体の売り上げでもあり、細分化してジャンルごとや、さらに細かくして著者、などと、大きい区分けから小さい区分けまであります。

要するに、「この店は先月これだけ売ったからこれだけ」「この店はこのジャンルはこれまでにこれだけ売ったからこれだけ」「この店はこの著者の過去作をこれだけ売ったからこれだけ」配本しよう、ということです。大雑把には、ですが。

 

で、この仕組み。僕の直感が間違ってたら取次さんには申し訳ないんですが。

 

あんた(取次)が「なくなってほしい」と思っている書店には配本しなければ勝手に潰れる仕組みなのでは?

 

と思ったのです。この仕組みを知って、それでどうなるんだろうと考えたときに。たぶん一年くらい前。

 

つまりですね。過去の実績で配本されるということは、配本されない=実績を作るための本がない、ということになり、その連鎖(循環)が続くとまるで食物連鎖で水銀の濃度が高まっていくように、配本ランクが下がり売り上げが下がり、ありゃまー。となるわけです。

逆にいうと、配本されるところは実績を作るための本がきちんとあるわけで、それをある程度の量売ればまた実績が上がって、より配本されやすくなる、というわけです。そりゃもとから配本されやすい大型あるいは都心部の書店は、「結果として」あるいは「必然的に」、またはこれは考えたくないことですが「故意に」、優遇されて生き残っていくわけですね。

 

例えば

現在ツイッターで多くの書店員が応援している『水族カンパニー!』

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この1巻の売れ行き次第で雑誌での連載再開が決まるということで、この本の面白さを知っている書店員さんが熱烈な応援ツイートをしています。

これが連載再開されて2巻が刊行されたときに(現実のものになってほしい...!!)、1巻のときはまったく気づいていなくて、そのタイミングで「展開したい!」と思った書店員さんがいたとして。果たしてそのお店にはどれだけ配本されるのでしょうか。地方のしかも小さい書店だった場合、注文をしない限り確実に配本されないでしょう。もしかしたら、注文しても満数入荷することはないかもしれません。最悪0です。

なぜかってそりゃ「実績がないから」ですよ。でもこれがもし、1巻の時点でバカ売れして(これからそうなってほしい...!!)、そのタイミングでこのお店が取次(版元)に注文をしても、配本(入荷)されない可能性もあるわけです。例えばこの小学館あるいはスピリッツの同系統の漫画の実績がない、著者の過去作の実績がない、などの理由で。というかそれ以前に、バズればバズるほど大型or都心部の書店に大量に配本され、地方or小さい書店には配本されにくいわけですから。

そりゃ次巻だって配本されませんよ。過去の実績によって決まるんですから。

 

でもその実績って、結局は「配本してもらえなければ作れない」んですよね。これって理不尽だし、原理的に「一度縮小し始めたら縮小し続ける」(またはその逆)ことになるのではないかと思うんです。一度でも失敗したら連鎖的に(漸次的に)ダメになっていくと。

もちろん書店の実力があれば実績は作れますし、挽回も可能なんですけど。

今回の「採算の取れないところから閉店させる」という方針と、日々感じていた取次の「大型・都心部優遇」の姿勢を併せて考えると

 

なんだ。結局取次は街の本屋なんて応援してないんじゃないか。というか、コスト(リスク)にしかならないから潰れてほしいと思ってるんですね。

 

と思ってしまったわけです。

 

 

現に、前回10冊配本の5冊売れ、そうなると今回は7冊配本の......え?なんで3冊しか配本されないの!?みたいなことも小さい書店だとあるようですし。

フェア展開したいから!と注文しても数冊入ってくればいいほう、みたいなのもあるようですし(書店が自発的に「売りたい」と思ったものくらい満数出荷しろよ、と毎回思っているのですが。そのくせいらないもんは大量に配本されるし)。

 

 

とにかく僕は、今回、「もう取次に頼っていてはだめなんだ」と、ついに本気で思ってしまったわけです。これまでは「このままじゃだめだけど、もしかしたら。それに取次にはなくなられたら困るし」くらいには思っていましたし、その思いで実際に入社もしましたしね。

 

これで晴れて、名実ともに取次から「離れた」ということになりました(月が変わって正式に退職となりました!!祝・無職!!)。

(配属希望書に「街の書店が復活する手助けがしたい」と書店営業で希望を出したら、出版業界と関係ない仕事をする会社に出向になったのも、なんだか納得がいってしまうのでした)

 

 

 

でもこれは、チャンスだと思っています。

取次に依存する体制から脱却して、地方の、小さな、街の本屋が逆襲するための。

あるいは同じように取次から見放されていた「弱小」版元の。

 

これからの大手取次は、同じように「大きな」ところにしか手は差し伸べてくれないように思えます。じゃああんたら抜きでやってやるよ、と。大きくて効率よくてコストがかからないほうのはそっちでしっかりやってくれ。そうじゃないほうはこっちがなんとかしてやるから、じゃあな、元気でやれよ。そういって別れを告げよう。

 

 

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この名曲を思い出したので貼っておきます。

 

後編に続きます。

 

「ついで買い」というものについて

書店減少の対策としてよく掲げられるこの「ついで買い」というもの。

このテーマ、軸がしっかりしていないと意味がないのではないか、ということをつらつらと。

 

 

大きく分けてふたつ方向があると思うんです。

①「本を日常的には買わないひと」に「ついでに」買ってもらう

②「本を日常的に買うひと」に「ついでに」買ってもらう

 

もっと細分化してもいいと思います。

①ー1「本を日常的には買わないひと」に「本屋で」本を「ついでに」買ってもらう

①ー2「本を日常的には買わないひと」に「本屋ではない場所で」「ついでに本を」買ってもらう

①ー3「本を日常的には買わないひと」に「本屋で」「ついでに本ではないモノを」買ってもらう

②ー1「本を日常的に買うひと」に「本屋で」本を「ついでに」買ってもらう

②ー2「本を日常的に買うひと」に「本屋ではない場所で」「ついでに本を」買ってもらう

②ー3「本を日常的に買うひと」に「本屋で」「ついでに本ではないモノを」買ってもらう

 

まだあるでしょうがとりあえずここまでで。

 

これら細分化され得る「ついで買い」に対して、それぞれの店舗・取次・版元がどの「ついで」を狙っているのかを明確にしないといけないと思います。

 

ここからはよりいっそう個人的な感覚の話になりますが

僕がもし本好きの人間でなかったとすると、「とんでもないほどの魅力がなければ」本のついで買いなんかしません。

 

どういうことかというと

例えばショッピングモールに服を買いに行ったとして、服屋にとりあえず本が置いてあったとしましょう。

とんでもないほど魅力がなければ買いません。というより目線が行かない可能性の方が高い。

あるいは本屋の中に服が売っている場合でも同じではないでしょうか。僕が見に行くのはあくまでも服であって本ではない。

雑貨や文具でも同じ。結局彼らは「本ではないものを」見に、あるいは買いに来ている。そこに服(文具・雑貨)があるからお店に足を踏み入れたのであって、「本があるから」ではない。結果としてそこに「本があった」だけで、「本屋に行った」という見た目的な行為は同じでも、持つ意味合いは完全に異なる。

 

ショッピングモールというワードに沿って考えてみる。

「ついで買い」を目指した書店のつくりは縮小化されたショッピングモールと言ってもいい。

書店というショッピングモールの中に本のテナントや文具・雑貨のテナント、CD・DVDのテナントなどが入っている。さらにそれぞれ、本なら文庫・コミック・実用・人文・雑誌などというジャンルに分かれる(服屋がメンズ・レディース・キッズに分かれさらにその中でも世代や雰囲気、用途に分かれるのと同様)。

ひとは書店=モールの中を、目当てのものを目指して移動する。

 

そう考えると、「服」あるいは「赤ちゃん用品」をショッピングモールに買いに来たひとが、ついでに書店に寄るだろうか。という問いが生まれる。いや、疑問か。

本を日常的に買うひとならもちろん寄るだろう。じゃあそうではないひとは?

確かにそこに(ショッピングモールであれば)書店が、あるいは(書店であれば)本が存在している。でも彼らが求めているものが書店あるいは本ではない場合、それはただ「在る」だけで、それ以上の意味はないのではないか。

 

とすれば、「ついで買い」というものは非常にレベルの高い試みではないか、という答えが出る。少なくとも「本が目当てではないひと」「本を日常的には買わないひと」に「ついでに本を」買ってもらう、という場合には。

つまり、「とんでもないほど魅力的」でなければ本を手にとってもらえる可能性はないのではないか。

 

 

本を本気で売りたいのであれば、いまの多くの併設店は生ぬるい。本が売れないから「とりあえず」ほかの粗利のいいものを売っとけ、というようにしか見えない。そして「ついでに本を買ってもらえればラッキー」ぐらいに思っているのかもしれない。

 

残念ながらそれは完全に目論見違いだ。なんどもいうが、「ついでに」買ってもらうには「とんでもないほどの」惹きつける力がなければいけない。でも「とりあえず」置いているだけのモノにそんな力はない。正確には、「モノには力があっても、それをひとが生かせていない(どころか殺している)」ことになる。

そしてそういう生半可なお店は、本好きのひとには見限られる。だってつまんないもん。

そうやって中途半端な併設店は本好きには見限られ、そうではないひとには本を買ってもらえず、本以外の併設したモノは本職に負ける、という未来が待ち受けている。

 

「ついで買い」や併設店がすべて悪いというのではない。やるならちゃんと軸を持って、誰に対してアピールするのか、何を売りたいのか、そういうのを明確にして、「本気で」やらないといけない。そういうことが言いたいのです。

 

本好きをターゲットにするなら、キワッキワの棚を作って、その上で最上の「本以外のモノ」を置く。

本好き以外のひとをターゲットにするなら、最上の本以外のモノを丁寧にセレクトして、かつ「見た目だけで」惹きつけられるような力を持った本を置く。

(この観点からすると版元も努力が必要ですね。視界に一瞬入っただけで気になって手を伸ばしてしまうような装丁を考えないと)

 

 

まとまりもなければ明確な答えもないんですが

こんな感じです。

とりあえず、最初に提示した細分化のそれぞれに対する最善の体系・方法を考えていくしかないかと。わかんないけど。

 

 

 

祝・第1回「誰でも本屋」開催&「本屋」lighthouse開業

お待たせしました。

できました。

疲れました。

オフトーンズへの長期契約が締結寸前です。

 

 

今回のテーマは「光」

 

理由は簡単、まずlighthouseだから。

 

 

そしてもうひとつ。僕の人生に光が欲しいから。

会社を辞したので職がありません。来月から無給です。

 

仕事探しの果てなき道を照らす光を僕にください。

 

 

 

そして奇しくも今日、この国は終わりへの一歩を踏み出しました。

共謀罪

 

私たちの人生に光を。

この国に、そして世界に平和の光を。

 

光を生み出すのは、与えるのは

たった1冊の本、あるいはひとりの人。

 

そう信じています。

 

 

テーマ「光」

軸本:海を照らす光(M・L・ステッドマン/古屋美登里 訳 早川書房)

www.hanmoto.com

 

灯台守トムと彼の妻イザベルのもとに天から与えられた希望とは。

灯台=lighthouseを中心にして紡がれる物語であり、人生における光=希望とは何かを考えさせられる物語でもあります。

 

映画化もされましたね。観たいです。

 

それでは。素敵な船出となることを祈って。

 

 

lighthouse 使い方

lighthouseの使い方についてです。

 

まず、本の集め方。

 

1. Twitterに運営者(@gucchi_penguin)よりテーマと軸本が投稿されます。同時にこのブログでも告知&詳細をお伝えします。

 

2. ツイートには #誰でも本屋_(テーマ)のハッシュタグがついています。初回を例に出すと、#誰でも本屋_光となります。

 

3. 「本屋」のみなさんは、運営者のツイートをもとにして、同様に#誰でも本屋_(テーマ)をつけて思い思いに本を紹介してください。あるいはハッシュタグを検索して、すでにTwitter上に照らし出された本から着想を得てください。その際、思い浮かんだ本がテーマから外れてしまっていても構いません。もし「外れてるかも」と思った場合は、どの本から連想したかを明記していただけると幸いです。

 

4. ツイートする際に必要な事項は以下

・タイトル(あまりにも長い場合は適宜省略してくださって構いません)

・表紙画像(版元HP、ネット書店、所有しているものを撮影、など法に触れないものであればなんでも可。表紙以外にも紹介したい部分があればそちらも)

・選書理由、おすすめポイントなど(基本的には140字=1ツイートに収まるイメージでお願いします。ハッシュタグやタイトル分の文字数があるので実質100字程度かと。この部分はlighthouseサイトに反映させる際に使わせていただきますのでご理解ください)

・#誰でも本屋_(テーマ)のハッシュタグ(このハッシュタグを検索して収集したものを運営者がサイトに反映させます。必ずつけてください。これさえあれば上の3つはなくてもなんとかなります、たぶん)

 

5. 運営者がlighthouseサイトに集まった本を掲載します。検索漏れはご容赦ください。どうしても!という場合や不安すぎて夜も8時間しか眠れないという場合は、運営者のTwitterに直接飛ばしてください。

 

 

次に、掲載後の利用方法など注意点

 

1. 掲載期間と収集期間は運営者の気分と忙しさによって決まるので特にこれといったものはありませんが、だいたい1ヶ月間程度と認識しておいてください。あまりにもツイート数が多くなった場合にはその時点で収集を終了しますが、前テーマの掲載は短くても1ヶ月は行ないます。

 

2. 「本屋」のみなさんは、lighthouseサイトに掲載された本たちを自由に使って、フェアを組んだり次に買う(作る)本を考えたりしてください。すべてを使う必要はありませんし、どんな形で使っていただいても構いません。報告等も不要です。

 

3. 投稿する本は、基本的には1冊のみでお願いします。軸となる本やテーマ以外からのちに着想を得て「どうしてもこれは!」というものを除いて、1期間に大量の投稿はお控えください。「1冊の本に時間をかけて向き合うこと」がlighthouseの趣旨のひとつだからです。

 

適宜ルールは変更する場合があります。

現時点ではこんな感じです(2017.6/15)